2015年7月18日
7月12日~13日、徳島を旅してまいりました。
2日間と言っても12日午後神山町見学や
翌日午後安崎先生の講演会参加がマストなので、時間的にお寺巡りは一軒もできなかった。が、弘法大師空海の足跡を巡る四国遍路文化体験というタイトルを変えるつもりも、変える必要もないと思います。
何故かと言えば、この2日間、空海が何回も話題になったり、私の頭にも時々ごく自然に浮かんできたので、彼が今でも生きているという説を当たり前のほど信じるようになったからです。
さっそく、時系列に気ままに書きたいと思います。
●神山町見学
7月12日12半頃、日中交流誌「和華」孫秀蓮編集長と一緒にJAL便で徳島空港に到着し、到着ロビーで、すぐに出迎えに来てくださった安崎先生のご友人で株式会社リレイションの祁答院社長と顔合わせができました。
祁答院社長がとっても優しい方で、私たちを乗せた車を神山町への山道を走りながら、私たちから連発する質問ににご回答をいただきました。
約1時間後、神山町に着いてさっぱり昼食後、幾つかの会社が入っているサテライトオフィスへご案内、資料を使って簡単なレクチャーをしてくださいました。
レクチャーによると、高齢化や過疎化などの問題を抱え人口が6000人に激減した神山町でしたが、NPOグリーンバレーと地元住民や行政と密接に連携行動し懸命に神山町の起死回生に取り組んでいました。そしてサテライトオフィスを利用する会社や移住者が増えて2011年に転入数が転出数を上回るという実績をあげて総務省にICT活用地域活性化モデルとされるようになりましたと、等々素晴らしいお話を聞かせ、徳島県の方々の立派な活動に感心しながら、ひょっとしたら空海も密かに神山町の起死回生に一助となられたかもしれないと思いました。
その後、札幌から神山町への移住者で中山啓さまご夫婦のお宅を見学し、古民家の建替えに励んでいる奥様の姿が強烈なインパクトを与えてくださいました。元グラフィックデザイナーの奥様は、ご購入の180年もの歴史ある古民家の設計から建替えまでをすべて自らやっているそうです。
古民家の再建が奥様のご趣味であり毎日の生活になっていると、ベトナム語がペラペラ喋れるご主人の中山様がおっしゃってました。その体力や耐力や精神力はどこから得たのでしょう?もしかして…大変感心して、失礼じゃなければ、奥様を神山町の神姉様とお呼びしたいです。
また、WEEK神山というお店を見学しました。外から見ると特殊な印象を与えてくれなかったが、中に入るとなかなか出たくないところです。優雅で芸術家のスタジオみたいし、とっても落ち着かせる雰囲気なので、本当に料理屋ですかと何回も尋ねました。店を出るとゲストハウスが目の前にあります。店とゲストハウスも再生された古民家でまだ木の香りがして、青山に囲まれ、心身のリフレッシュに最適なところでしょう。
ちなみに、祁答院社長も徳島市への移住者で、NPO活動家兼企業家として、神山塾の運営やいろんなビジネスの開拓に携わり、NPOとビジネスのハイブリッド化などを通じて神山町の起死回生のために大いに腕前を発揮されている方です。
●ミニ日中懇親会
さて、7月12日夕方頃、神山町を出ました。休めずに車を運転して徳島市へ向かう祁答院社長に申し訳ないですが、私と孫さんは知らずに仮眠したりしてました。ホテルにチェックインして一休み後、祁答院社長はまた迎えにくる約束をしてくださいました。
そしてチェックイン1時間後、予定通りに祁答院社長とホテルのロビで集合し、どこかの居酒屋で飲み食べ話ししようとホテルを出ました。途中、祁答院社長はもう一人ご友人が来るよと言って間もなく、ご友人3人もいらして、中国人2人、日本人4人のミニ日中懇親会へ発展!
初めて入ってみた居酒屋は満席だったので、また周りの店をのぞんだりしてもう一カ所小さいが良さそうな居酒屋に入れました。
何を食べたのかを覚えてないが、すべて美味しかっただけを覚えています。
実は、美味しい料理よりも、新しく出会った祁答院社長のご友人3人との話し合いのほうが印象に残っています。
この日の会話と翌日の会話をまとめますと、
まず前職が公認会計士だった岡田育大様、徳島実家の林業経営者として、伝統経営から環境配慮型へ、家族経営から地域活性化へ、経営理念や方向転換し、主に東京と徳島間で様々な新しいビジネスを開拓し実践している、存在感が極めて大きいと思われる実業家です。
次いでは元カメラマンの株式会社丸菱を経営している石井友規様、今は4K映像コンテンツの制作を通して徳島の魅力アピールに取り組んでいます。4K番組が見れるテレビはすでに商品化されているが、4Kコンテンツが少ないのが現状でこの現状を変えようと。また、来る東京オリンピックの開催時から、8Kコンテンツが放送されるので、恐らくその時から4Kが淘汰されるでしょうと。なお、人間の目にも限界があり、8K以上のコンテンツが出たとしても8Kを取り替えることがないだろう、8Kが主流になるだろうと。
技術革新が早すぎてついて行けないような気がしますが、かなり新鮮な話題で大変勉強になりました。
せめて8Kの時代前の短い4K時代に、4Kテレビを購入する必要があるかどうかを判断材料をいただきました。
そして3人目は旅人理事の伊祁宏将様で地域活性化への貢献を熱望している方です。
伊祁様の父親がお寺の住職さまですので、自然的に彼と空海が話題になり、空海がまだ生きているという話で盛り上がりました。
また、あるお寺の住職さまがなくなり、後継ぎがいないので韓国人の奥様が後継いでいるお話を聞いて女性も住職になれることが初耳でかなり驚きましたが、よく考えてみると、そのお寺の存続という大きなことに比べると、お寺の住職を引き継ぐ方が男性か女性か、形の問題に過ぎないことを悟りました。
日本で伝統を守りながら新しいことも受け入れる、このような体質を整えられているのは、数多い伝統が百年も千年も守られてきた一要因じゃないかと思います。
2時間ぐらいの日中懇親会では、美味しく飲み食べながら、四人と楽しく話し合い多くのことを学びました。
●阿波踊りに酔いまくり
ミニ日中交流会の翌日朝一、ホテルでさっぱりした朝食を食べて一休み、また迎えにいらした祁答院社長と一緒に安崎先生を迎いに空港へ向かいました。
昼頃、安崎先生、昨日ミニ交流会参加者全員に加え、もう一人岡田さまの秘書、合わせて8人が一緒に昼食を食べました。
安崎先生のご提案で、岡田さまの秘書が孫さんと私を車に乗せて阿波踊り会館へ向かいました。
毎年7月から8月、日本全国を大いに盛り上げる様々な盆踊り祭りは、日本夏の一大風物になっています。
数年前に私は新宿駅近くで阿波踊りを見たことがありますが、その発祥地の徳島県で見るのが初めてでした。
小さな会館ですが、阿波踊りが始まると、目の前の阿波踊りの迫力に震撼し、その独特の美しさに目を奪われて心も奪われました。
朴質無華という中国語成語があり、質素で飾りないという意味で、質素を強調するので華美と無縁のように思われますが、阿波踊りは、男踊りの質素さと女踊りの華美さ、何故か二つのイメージが極自然に重なり凄艶さを演出しています。阿波踊りを見ながら、朴質無華という本来の中国語が、朴質驚艶という姿で頭に浮かんできました。
最後の踊りは、曲名が分からないが、光と踊りで吹雪、月、桜色などが素早く入れ替わり、四季の風景や人間仙境を素晴らしく演出されました。眼も心も酔わされました。
それに、ずっと身を低くして踊る男性が艶ぽっく上品で優雅に踊る女性達をより美しく引き立ているのも大変面白くて、紳士的だと大変感心しました…
●安崎先生講演会及び懇親会
その後、安崎先生の講演会場へ向かいました。
会場に着くと、また来場者300名以上の盛大会場の迫力に震撼しました。
16時頃から安崎会長による「戦わずして勝つ経営体質作り」をテーマとする講演を拝聴し、
その後、とくぎんサクセスクラブ会員懇親会に出席し、美味しい地元料理を別腹でも入れないほど堪能しました。
「戦わずして勝つ経営体質作り」講演会&懇親会の様子は、下記のレポートに纏めております▼
安崎会長、7月13日徳島銀行主催の講演会で講演レポート
2日間と短い旅でしたが、東京圏で見れない風景を見れて、体験できない独特の伝統文化を体験できてたくさんのことを学びました。
●今も生き続ける空海
最後になりますが、タイトルにあげた四国遍路の話題に戻ります。
今回は四国八十八箇所巡礼は一箇所でもできなかったが、空海がどこかのお寺にじっと閉じ込んで瞑想やお経を唱える修行僧でなく、彼の足跡が八十八箇所のお寺を繋げる道に遍在するに違いない。私が2日間に踏んだ道には、きっと空海の足跡も残されていると思います。
遣唐留学僧の空海について億分の一しか知らないかもしれないが、彼が唐から学んだのはお経を唱えるだけではなく、井戸堀り技術など現世庶民に役立つものもありました。そして、彼はこういった技術の普及や衆生救済のため香川県の堤防建設を含む土木事業を多数行いました。
空海が四国に残したのが、"DO”のDNAで、金銭よりも遥かに莫大な財産、あるいは財産を増やせる豊富な文化資源だと思います。
安崎先生の「戦わずして勝つ経営体質作り」という講演が理論だらけだはなく、"DO”のお話や"DO”による実績のお話が盛りだくさんありました。
なお、神山町の山道や古民家の再建に励んでいる神姉さんやこの2日間にお会いした方々の生き生きした姿にも、時代を超える空海の"DO”のDNAが潜んでいるじゃないかと思います。
そもそも仏教的に生死についての認識は俗世のと異なるので、空海は、間違いなく瞑想や念仏や唐の先生からの教えなどをすべて超越し、時代や国境の妨げも超越して生きているのです。(End)
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于7月12日~13日进行了徳島之旅。
虽说旅程只有2天,但是因为12日中午到达德岛后参观神山町以及翌日下午出席安崎先生讲演会的节目必不可少,时间上就不可能安排遍路巡礼了。不过即使如此,我也不打算更改“弘法大師空海の足跡を巡る四国遍路文化体験”这个题目,也觉得没有必要更改。
为什么呢,因为在2天的旅游中,空海好几次成了话题,更时不时自然而然地浮现在我脑海里,不知不觉中让我也相信他现在还活着的说法当然是真的了。
接下来按照时间顺序想到啥就写啥。
●参观神山町
7月12日12点半左右,我与日中交流志「和华」编辑长孙秀莲一起乘坐JAL航班到达徳島机场,在到达厅很快就与前来迎接我们的,安崎先生的友人株式会社リレイション的祁答院社长汇合了。
祁答院社长非常亲切随和,在驾驶载着我们两人的车前往神山町的途中,一边奔驰在山道上,一边耐心回答我俩的连连提问。
大约1時間后,我们到达神山町,用过清淡的午餐后,他带着我俩到了被好几家公司借用的卫星办公室,并使用资料给我们简单地上了一课。
从授课得知,受高龄化和人口过疏化等问题影响,神山町住民曾剧减到6000人,在此状况下,NPOグリーンバレー和地方住民以及行政机构紧密携手拼命发掘实施了各式各样的对策以图神山町的起死回生。随着这些活动的深入展开,利用神山町服务的公司以及移住者渐渐增加,终于在2011年取得了迁入住民数超出迁出住民数的实绩,被总务省列为通过活用ICT实现地域活性化的模范样板等等,听着这些精彩的解说,一边被德岛县人了不起的行为所感动,一边思量,空海是否也在暗中为神山町的起死回生加了一把劲呢?
之后,我们参观了从札幌迁入神山町的中山啓夫妇家。在那里,中山夫人拼命重建古民屋的英姿给我了极大的震撼。
中山夫人原为平面设计师,自从购入这已有180年历史的古民屋后,从设计到重建都是她自己日复一日亲手在进行。能说一口流利越南话的中山先生说重建古民屋已经是他夫人的兴趣也是她每日的生活。
我很好奇她如何有这般体力、耐力以及精神力,莫非…感动至极,如果不失礼的话,我很想称她为神山町的神姐。
接着我们还参观了一家名为“WEEK神山”的小巧玲珑的饭店。从外观看这个饭店并没什么特别之处,不过脚一踏入就不想出来了。里面装饰简单却极为优雅,好似艺术家的工作间,气氛也让人赏心悦目,心定神清,我不由问了好几次,这真是吃饭的地方啊?
出了店门,眼前便是旅舍,这个店和旅舍也是重建的古民屋,散发着木头的清香,感觉此处青山环抱,该是一个最适合修养身心的好地方。
话说祁答院社长也是从其他县迁入徳島市,作为NPO活动家兼企业家,身体力行于神山塾的运营以及各种事业的开拓、致力于NPO和实业的融合等等,在力图让神山町起死回生的实业中大显身手。
●迷你日中联欢会
却说7月12日傍晚时分,我们离开神山町。祁答院社长马不停蹄地开车返回德岛市,我和孙桑却不知不觉在座位上打起盹来。祁答院社长和我们约好,我们入住宾馆休息一下后他再来接我们。
我们入住宾馆一小时后,如约在前台大厅与祁答院社长会合,准备一起找家居酒屋吃点喝点也聊聊天。在途中祁答院社长说他有个朋友要来参加,这话说完不到一会儿,他朋友还带着另外两个朋友来了,如此发展成了中国人2名,日本人4名参加的迷你中日联欢会!
我们进入的第一家居酒屋满席了,于是出了店在周围另找其他店,最后进入了一家小巧玲珑看似不错的居酒屋。
我不太记得在那里吃了什么,只记得吃了不少美味佳肴。
然而比起美味佳肴,与刚刚认识的祁答院社长的3位朋友的对话却更为记忆深刻。
总结与他们这天和第二天的对话:
首先,曾为公认会计士的岡田育大様,从事于徳島老家的林业经营,从传统经营到环保型经营、从家族経営到地域活性化、转换経営理念以及方向、以東京和徳島为主要据点尝试开拓了各式各样的实业并付诸于实践,感觉是位存在感极大的实业家。
接着是曾为摄影家,现经营着株式会社丸菱的石井友規様,现致力于展示德岛魅力的4K映像制作。
现在能看4K节目的电视机已经面世,遗憾的是4K节目却极少,他的任务则是要力图改善这种状况。
另外,在东京奥运会举办之际,8K节目又将开始放送,那时4K节目恐怕要被淘汰了。
进而,他说人的眼睛也有限度,因此那之后即使再有8K以上的节目出现,估计代替8K不太可能,因此将来8K应该成为主流。
当今技术革新太快,虽感觉难以跟上,不过从这些新鲜话题学到了不少东西。
至少在8K时代到来前的短短的4K時代,是否有必要购买4K电视机呢,这些话题于我无疑是有用的判断材料。
第3位是旅人理事伊祁宏将様,在热心于德岛地域活性化活动中也正处当年。
伊祁様的父亲为一寺庙的住持,因此与他之间空海自然而然就又成了热门话题。
另外,听他说有个寺庙的住持离世后,没有继承人,最后由他的韓国人夫人继承其位。
头一次听说女性也可担任寺庙的住職,我大为惊讶,不过仔细想想就感悟到了,与寺庙的存续大事相比,继承寺庙住持一职是男还是女,只不过是个形式问题罢了。
日本,一边守护传统,一边接纳新事物,也许这种体质正是让许多传统得以传承百年甚至千年的要因之一吧。
2个小时左右的迷你日中联欢会,不仅享受了美味佳肴,还从与4位实业家愉快的对话中大大长了见识,可谓受益匪浅。
●惊艳醉人的阿波舞
在迷你日中交流会的第二天清晨,我们在下榻宾馆的宾馆用过清单可口的早餐,稍事休息后,乘坐前来迎接我们的祁答院社长的车,前往机场迎接安崎先生。
中午安崎先生、昨天出席迷你日中交流会全员,新加一位岡田先生的秘书,合计8人一起共进午餐。
在安崎先生的提一下,岡田先生的秘书开车送孙桑和我去了阿波舞蹈会馆。
毎年从7月到8月,五彩缤纷的盆舞大会在日本全国遍地开花,热闹非凡,堪称日本夏季的一大风物。
我曾在新宿站附近看过阿波舞,不过却是头一次在其起源地徳島县观看。
会馆虽小,但是阿波舞在眼前一开始,我就震撼于其魄力,眼睛和心灵都被其独特的美丽深深吸引了。
中国有个成语叫“朴实无华”,朴素而无浮华之意,因其强调朴素,通常说来似乎无缘于华丽,
然而阿波舞男舞者的朴素和女舞者的华美这两种元素却极为自然地结合在一起,演绎成无与伦比的艳丽。
于是看着阿波舞,“朴实无华”这个中国成语在我脑海里便自然而然地幻化成了“朴实惊艳”这四个字。
不知道最后一曲的曲名,在灯光演绎的飘雪、月光、桜花的颜色等景色快速变幻中的最后一曲阿波舞更是精彩纷呈,舞者们顷刻间便舞出了四季风光,人间仙境,来客们醉了双眼也醉了心灵。
另外,男舞者们一直低着身子舞蹈,把女舞者们的性感和优雅尤其衬托得淋漓尽致,看着有趣,更感于男舞者们甘当绿叶的绅士气度…
●出席安崎先生讲演会和联欢会
从阿波舞会馆出来后,我们直奔安崎先生的讲演会场。
到了会场,又被坐满300名以上来客的盛大会場震撼了。
我们人真倾听了16点左右开始的,安崎先生以「打造不战而胜经营体制」为主体的讲演,
之后在とくぎんサクセスクラブ会员联欢会上大块朵颐了一顿德岛的当地美味料理。
有关「打造不战而胜经营体制」讲演会以及联欢会的样子,可点击下面链接阅读相关报告▼
安崎会長、7月13日徳島銀行主催の講演会で講演レポート
2天之旅虽短,却看了在东京圈看不到的风景、体验了在东京圈体验不到的德岛独特的传统文化,得益匪浅。
●跨越时空活在当今的空海
最后,想回到标题所示四国遍路的话题。
这次虽说四国八十八个巡礼处一个也没能去,但是空海并非那种闭关冥想或者念经的修行僧,
他的足迹定是链接着八十八个巡礼处,遍及四国。
因此在我2天里踏过的路上,想来也有空海留下的足迹。
或者对于遣唐留学僧空海,我知道的不到一亿分之一,然而我知道他从大唐学来的并不仅仅是念经,还有钻井技术之类能造福于现世民众的东西。他致力于这些技术的普及,并身体力行地实施了香川县的堤防建设等等造福四国众生的土木事业。
空海给四国留下的是"DO”的DNA,是远比金钱庞大的财产,或者说是能让财产增值的丰富的文化资源。
安崎先生的「打造不战而胜经营体制」的主题演讲的意义并非在于纯理论性的泛泛阔论,更在于其中大部分"DO”的内容以及"DO”出来的实迹。
另外,神山町的山道,奋力重建古民屋的神姐,以及这2天里见到各位企业家们生机勃勃的身影里,
我想都潜伏着空海那超越时代的"DO”之DNA。
有关生死的认识,佛教与俗世本就有所不同,空海,确确实实超越了古来的冥想僧、念经僧,升华了大唐师傅所授,从而也超越時代与国境,活在当今。(End)