ラベル 旅行 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 旅行 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

熱海枇杷物語女子会

 2020年8月24日

土曜日友人と一緒に袴田さんの熱海枇杷物語ヘ。

到着してから果物や野菜取り、海辺散策、ショッピング後は女子会スタート。

3人とも辰年生まれなので、喋りまくり隣の温泉に行く計画も忘れてしまいました。


翌日は二度寝三度寝、朝兼昼食後涼しい山へ。

数カ所から美しい景色を眺め楽しみました。

最後にいちじく、蔓紫等5種類の枝をもらって帰り道ヘ。

袴田さんに2日間お世話になりました。
大変楽しくてたっぷり充電できました。又会える日までにお互いに頑張りましょう!

特別給付金10万円を観光業に還元~青森女子旅

2020年7月14日

予定通り青森へ女子旅に行ってきた。

1日目(7/11)
朝9:35に青森駅に着き、ホテルへ荷物を預けてから、駅近くの“ねぶた”の家ワ・ラッセ見学。
昼頃電車で陸奥鶴田へ、タクシーで鶴の舞橋へ。雨の中で鶴達とのデートを決行。
あるハンサムな鶴は、マリアの撮影を怒ったり逃げたりせずに、しかも撮影に協力しているように彼女をじっと見つめていた。彼女に恋に落ちたかと思った(笑)
雨がなかなか止まず最寄り駅へのハイキングを諦めてやはりタクシーを呼んだ。
駅で電車を待つ間、小さなカウンターの女の子は近くの農家製のスチューベンジュースを小さな2コッププレゼントしてくれた。
その激うまさは感動的だったのでカウンターに残り唯一の一つを購入した。夕方青森に戻りホテルで夕食後、温泉を堪能。

2日目(7/12)
朝から雨だったが、ドライバーへ変身したマリアさんはレンタルカーを走らせ十和田湖へ向かった。
途中雨だったり晴れたり、奥入瀬渓流は黄色になったところばかりじゃなく、大変綺麗なところもあった。
十和田湖に着いた時は快く晴れてきた。湖の回りを歩きながら美しい景色を楽しんだ。
青森へ戻り、近くの神社や青森港周辺を歩き回った。
夕方ホテルに戻り、夕食後又温泉三昧。
下駄も履いて歩いたりしてみたが、難しかった(笑)

3日目(7/13)
朝食後ホテルをチェックアウト。駅のロッカーに荷物を入れて青森港へ。津軽海峡冬景色の歌声を聴きながら船を待っていた。
9:40分に出発し1時間過ぎ、スピードダウンされた船の中で、日本秘境百選、日本地質百選入りの仏ケ浦奇景を観光し、神様の仕業に大々的に感動した。トータルで4人の乗客は、お互いに完璧以上の社交距離を保って景色を堪能した。
午後1時頃は佐井に到着し、帰り便の出発時間まで20分弱だけなので、急いで津軽海峡文化館を見学した。1時半頃船は帰り道へ。青森港に戻り、青森県立郷土館へ。5時半過ぎ和食料理屋に入り、新鮮な海鮮散らし丼やサラダなどでこの慌ただしいが楽しい女子旅を気持ちよく締めくくった。



特別給付金10万円を観光業に還元企画

2020年6月14日

今月末振り込まれてくれるだろうとする特別給付金10万円を日本観光業に還元したくて、友達のマリヤさんと青森観光を検討。

が、いろいろと探しても申込可能なツアーが早くても7月下旬になってしまいます。そして自分で調べなから旅程を立てた。かなり安く出来ているので、残りの金+αの自費で他のツアーも探して参加するつもりです。

交通や宿泊をばらばらに予約し終えて現地旅程を考えると、7/11青森駅周辺観光と7/12奥入瀬渓流往復で問題なさそうですが、7/13十和田湖往復は時間的にかなりハードになることが分かりました。

ホテルをキャンセルするにはキャンセル料がかかるし、キャンセルして再度ホテル探しや予約するには、もうめちゃくちゃになった頭には無理な重労働です。
さあ、これでいこう。
最悪、十和田湖の日はレンタカーにしてドライブが好きなマリアさんに任せましょう。

やはりツアー参加が楽です。

成都からの幼馴染と数年ぶりに会いました

2018年3月18日

今日は、中国の成都から日本観光にやってきた幼馴染と数年ぶりに会って、明治神宮、新宿、銀座等をご案内しました。

私の若い時の浴衣を持参し、着付けてあげました。綺麗な彼女にピッタリでした。

私よりただ1カッ月年下の彼女ですが、綺麗を保っているというよりも、年とともに綺麗さが増してきているようで、びっくりしました。

逆生長の彼女と順成長の私と並んで立つと、娘と母のように見えているじゃないかと、今日一日、私のセリフでした(笑)

午前10時に明治神宮で集合し、観光や食事や買物などを案内したり喋ったりしてあっという間に夕方が迫ってきました。
18時発の成田空港近くのホテル行のバスに乗ることになっているので、5時過ぎた頃、銀座から明治神宮迄見送りしてあげました。大変楽しかったです!

近年、来日観光の友人が増えてきています。
明日も、来日観光中の友人夫婦をご案内致します。






企画者もテーマもない入退場自由な小型国際交流会~4時間以上も盛り上がり

biwamonogatari
説明を追加
2018年1月4日

ホテルと民宿と何が違うかといえば、雰囲気的に都市と村の違いに似ているところじゃないかと思います。
ホテルの宿泊客は同じテーブルに座ってもお互いにせいぜい挨拶ぐらいするでしょうが、民宿では違うテーブルに座っても10分もしないうちに一緒になって盛り上がリます。

1月2日の熱海 琵琶物語に数組の宿泊客がやって来ました。
私達のグループは近くの温泉から部屋に戻り、夕方頃キッチンで喋りながら食べはじめて間もなく他の宿泊客も次々と入って来ました。みんなは、お互いにHelloと挨拶から会話を交わし、小型国際交流会となりました。参加者は日本人、中国人、フランス人、アメリカ人、韓国人。企画者もいないし、テーマもないし、入退場自由ですが、なんと4時間以上も盛り上がりました。

大変楽しかったので、まだ気が早いのですが、今日は一緒に行ってきた安達ご夫婦と中国のSNS Wechatで次回のお正月の話で盛り上がってます。安達さんが曰く:. 民宿いいね、初めてでした、ホテルでは他の人とのつながりがないから、つまらないね…来年、おせちを家で作り、多賀で皆でお祝いしましよう(笑)。奥様が曰く:主人はフランス人の山深い田舎に行くつもりですよ、おしりが軽いもの、そわそわしてますよ。私も主人一人で行かせられないよ。行かなくても彼女もご一緒に如何(爆笑)

袴田さん、大変お世話になりました。また行きます!

夏休みは帰省して一休み~中国崩壊論実感なし


2015年8月27日


8月7日から夏休みに入り、姪に会うため上海経由で重慶の実家へ帰り、19日に日本に戻ってきました。

10日ぐらい実家滞在中に、母親の世話をしたり、懐かしい小学、中学、高校時代の友人達と遊んだり食べたりしました。ほぼ毎日”土豪”になった友人達に招待されて、私に”買単”するチャンスを与えてくれなかった。一年ぶり中国語を喋りまくって楽しかったです。

35度前後暑い実家から車で1時間ぐらいのところに納涼勝地があり、10度前後で大変過ごしやすいです。こちらには、近年開発が進み、夏休養専用の家を買った友人が多数います。
中国では、物価が上昇し続き日本とあまり大差がなくなってきていますが、公務員を含むサラリーマンの給料もかなりアップされています。体制や制度的な問題は沢山ありますが、まちなかを回ってみると、会社や個人業者の商売が大変賑やかで活発し中国崩壊論をあまり実感できなかった。

なお、共産党は反腐に力を入れているようで、数人の高級幹部友人によると、近年パスポートを没収されて申告して許可を貰えなければ出国観光ができない状況です。

根本的な腐敗防止策は早いプロセスでできるシステムや法制を整えるべきなので、パスポート没収の効果が疑われます。しかし何もやらないよりはましです…





遣唐使留学僧弘法大師空海の足跡を辿る四国遍路文化ミニ体験レポート(気ままな乱記?)

2015年7月18日


7月12日~13日、徳島を旅してまいりました。

2日間と言っても12日午後神山町見学や翌日午後安崎先生の講演会参加がマストなので、時間的にお寺巡りは一軒もできなかった。が、弘法大師空海の足跡を巡る四国遍路文化体験というタイトルを変えるつもりも、変える必要もないと思います。
何故かと言えば、この2日間、空海が何回も話題になったり、私の頭にも時々ごく自然に浮かんできたので、彼が今でも生きているという説を当たり前のほど信じるようになったからです。

さっそく、時系列に気ままに書きたいと思います。

●神山町見学
7月12日12半頃、日中交流誌「和華」孫秀蓮編集長と一緒にJAL便で徳島空港に到着し、到着ロビーで、すぐに出迎えに来てくださった安崎先生のご友人で株式会社リレイションの祁答院社長と顔合わせができました。
祁答院社長がとっても優しい方で、私たちを乗せた車を神山町への山道を走りながら、私たちから連発する質問ににご回答をいただきました。
約1時間後、神山町に着いてさっぱり昼食後、幾つかの会社が入っているサテライトオフィスへご案内、資料を使って簡単なレクチャーをしてくださいました。

レクチャーによると、高齢化や過疎化などの問題を抱え人口が6000人に激減した神山町でしたが、NPOグリーンバレーと地元住民や行政と密接に連携行動し懸命に神山町の起死回生に取り組んでいました。そしてサテライトオフィスを利用する会社や移住者が増えて2011年に転入数が転出数を上回るという実績をあげて総務省にICT活用地域活性化モデルとされるようになりましたと、等々素晴らしいお話を聞かせ、徳島県の方々の立派な活動に感心しながら、ひょっとしたら空海も密かに神山町の起死回生に一助となられたかもしれないと思いました。

その後、札幌から神山町への移住者で中山啓さまご夫婦のお宅を見学し、古民家の建替えに励んでいる奥様の姿が強烈なインパクトを与えてくださいました。元グラフィックデザイナーの奥様は、ご購入の180年もの歴史ある古民家の設計から建替えまでをすべて自らやっているそうです。

古民家の再建が奥様のご趣味であり毎日の生活になっていると、ベトナム語がペラペラ喋れるご主人の中山様がおっしゃってました。その体力や耐力や精神力はどこから得たのでしょう?もしかして…大変感心して、失礼じゃなければ、奥様を神山町の神姉様とお呼びしたいです。

また、WEEK神山というお店を見学しました。外から見ると特殊な印象を与えてくれなかったが、中に入るとなかなか出たくないところです。優雅で芸術家のスタジオみたいし、とっても落ち着かせる雰囲気なので、本当に料理屋ですかと何回も尋ねました。店を出るとゲストハウスが目の前にあります。店とゲストハウスも再生された古民家でまだ木の香りがして、青山に囲まれ、心身のリフレッシュに最適なところでしょう。

ちなみに、祁答院社長も徳島市への移住者で、NPO活動家兼企業家として、神山塾の運営やいろんなビジネスの開拓に携わり、NPOとビジネスのハイブリッド化などを通じて神山町の起死回生のために大いに腕前を発揮されている方です。

●ミニ日中懇親会

さて、7月12日夕方頃、神山町を出ました。休めずに車を運転して徳島市へ向かう祁答院社長に申し訳ないですが、私と孫さんは知らずに仮眠したりしてました。ホテルにチェックインして一休み後、祁答院社長はまた迎えにくる約束をしてくださいました。

そしてチェックイン1時間後、予定通りに祁答院社長とホテルのロビで集合し、どこかの居酒屋で飲み食べ話ししようとホテルを出ました。途中、祁答院社長はもう一人ご友人が来るよと言って間もなく、ご友人3人もいらして、中国人2人、日本人4人のミニ日中懇親会へ発展!

初めて入ってみた居酒屋は満席だったので、また周りの店をのぞんだりしてもう一カ所小さいが良さそうな居酒屋に入れました。
何を食べたのかを覚えてないが、すべて美味しかっただけを覚えています。

実は、美味しい料理よりも、新しく出会った祁答院社長のご友人3人との話し合いのほうが印象に残っています。

この日の会話と翌日の会話をまとめますと、

まず前職が公認会計士だった岡田育大様、徳島実家の林業経営者として、伝統経営から環境配慮型へ、家族経営から地域活性化へ、経営理念や方向転換し、主に東京と徳島間で様々な新しいビジネスを開拓し実践している、存在感が極めて大きいと思われる実業家です。

次いでは元カメラマンの株式会社丸菱を経営している石井友規様、今は4K映像コンテンツの制作を通して徳島の魅力アピールに取り組んでいます。4K番組が見れるテレビはすでに商品化されているが、4Kコンテンツが少ないのが現状でこの現状を変えようと。また、来る東京オリンピックの開催時から、8Kコンテンツが放送されるので、恐らくその時から4Kが淘汰されるでしょうと。なお、人間の目にも限界があり、8K以上のコンテンツが出たとしても8Kを取り替えることがないだろう、8Kが主流になるだろうと。
技術革新が早すぎてついて行けないような気がしますが、かなり新鮮な話題で大変勉強になりました。
せめて8Kの時代前の短い4K時代に、4Kテレビを購入する必要があるかどうかを判断材料をいただきました。

そして3人目は旅人理事の伊祁宏将様で地域活性化への貢献を熱望している方です。
伊祁様の父親がお寺の住職さまですので、自然的に彼と空海が話題になり、空海がまだ生きているという話で盛り上がりました。
また、あるお寺の住職さまがなくなり、後継ぎがいないので韓国人の奥様が後継いでいるお話を聞いて女性も住職になれることが初耳でかなり驚きましたが、よく考えてみると、そのお寺の存続という大きなことに比べると、お寺の住職を引き継ぐ方が男性か女性か、形の問題に過ぎないことを悟りました。

日本で伝統を守りながら新しいことも受け入れる、このような体質を整えられているのは、数多い伝統が百年も千年も守られてきた一要因じゃないかと思います。

2時間ぐらいの日中懇親会では、美味しく飲み食べながら、四人と楽しく話し合い多くのことを学びました。

●阿波踊りに酔いまくり


ミニ日中交流会の翌日朝一、ホテルでさっぱりした朝食を食べて一休み、また迎えにいらした祁答院社長と一緒に安崎先生を迎いに空港へ向かいました。
昼頃、安崎先生、昨日ミニ交流会参加者全員に加え、もう一人岡田さまの秘書、合わせて8人が一緒に昼食を食べました。

安崎先生のご提案で、岡田さまの秘書が孫さんと私を車に乗せて阿波踊り会館へ向かいました。

毎年7月から8月、日本全国を大いに盛り上げる様々な盆踊り祭りは、日本夏の一大風物になっています。
数年前に私は新宿駅近くで阿波踊りを見たことがありますが、その発祥地の徳島県で見るのが初めてでした。
小さな会館ですが、阿波踊りが始まると、目の前の阿波踊りの迫力に震撼し、その独特の美しさに目を奪われて心も奪われました。
朴質無華という中国語成語があり、質素で飾りないという意味で、質素を強調するので華美と無縁のように思われますが、阿波踊りは、男踊りの質素さと女踊りの華美さ、何故か二つのイメージが極自然に重なり凄艶さを演出しています。阿波踊りを見ながら、朴質無華という本来の中国語が、朴質驚艶という姿で頭に浮かんできました。
最後の踊りは、曲名が分からないが、光と踊りで吹雪、月、桜色などが素早く入れ替わり、四季の風景や人間仙境を素晴らしく演出されました。眼も心も酔わされました。
それに、ずっと身を低くして踊る男性が艶ぽっく上品で優雅に踊る女性達をより美しく引き立ているのも大変面白くて、紳士的だと大変感心しました…

●安崎先生講演会及び懇親会

その後、安崎先生の講演会場へ向かいました。
会場に着くと、また来場者300名以上の盛大会場の迫力に震撼しました。
16時頃から安崎会長による「戦わずして勝つ経営体質作り」をテーマとする講演を拝聴し、
その後、とくぎんサクセスクラブ会員懇親会に出席し、美味しい地元料理を別腹でも入れないほど堪能しました。

「戦わずして勝つ経営体質作り」講演会&懇親会の様子は、下記のレポートに纏めております▼
安崎会長、7月13日徳島銀行主催の講演会で講演レポート


2日間と短い旅でしたが、東京圏で見れない風景を見れて、体験できない独特の伝統文化を体験できてたくさんのことを学びました。

●今も生き続ける空海

最後になりますが、タイトルにあげた四国遍路の話題に戻ります。
今回は四国八十八箇所巡礼は一箇所でもできなかったが、空海がどこかのお寺にじっと閉じ込んで瞑想やお経を唱える修行僧でなく、彼の足跡が八十八箇所のお寺を繋げる道に遍在するに違いない。私が2日間に踏んだ道には、きっと空海の足跡も残されていると思います。

遣唐留学僧の空海について億分の一しか知らないかもしれないが、彼が唐から学んだのはお経を唱えるだけではなく、井戸堀り技術など現世庶民に役立つものもありました。そして、彼はこういった技術の普及や衆生救済のため香川県の堤防建設を含む土木事業を多数行いました。
空海が四国に残したのが、"DO”のDNAで、金銭よりも遥かに莫大な財産、あるいは財産を増やせる豊富な文化資源だと思います。

安崎先生の「戦わずして勝つ経営体質作り」という講演が理論だらけだはなく、"DO”のお話や"DO”による実績のお話が盛りだくさんありました。
なお、神山町の山道や古民家の再建に励んでいる神姉さんやこの2日間にお会いした方々の生き生きした姿にも、時代を超える空海の"DO”のDNAが潜んでいるじゃないかと思います。

そもそも仏教的に生死についての認識は俗世のと異なるので、空海は、間違いなく瞑想や念仏や唐の先生からの教えなどをすべて超越し、時代や国境の妨げも超越して生きているのです。(End)

--------



于7月12日~13日进行了徳島之旅。

虽说旅程只有2天,但是因为12日中午到达德岛后参观神山町以及翌日下午出席安崎先生讲演会的节目必不可少,时间上就不可能安排遍路巡礼了。不过即使如此,我也不打算更改“弘法大師空海の足跡を巡る四国遍路文化体験”这个题目,也觉得没有必要更改。
为什么呢,因为在2天的旅游中,空海好几次成了话题,更时不时自然而然地浮现在我脑海里,不知不觉中让我也相信他现在还活着的说法当然是真的了。

接下来按照时间顺序想到啥就写啥。

●参观神山町

7月12日12点半左右,我与日中交流志「和华」编辑长孙秀莲一起乘坐JAL航班到达徳島机场,在到达厅很快就与前来迎接我们的,安崎先生的友人株式会社リレイション的祁答院社长汇合了。
祁答院社长非常亲切随和,在驾驶载着我们两人的车前往神山町的途中,一边奔驰在山道上,一边耐心回答我俩的连连提问。
大约1時間后,我们到达神山町,用过清淡的午餐后,他带着我俩到了被好几家公司借用的卫星办公室,并使用资料给我们简单地上了一课。
从授课得知,受高龄化和人口过疏化等问题影响,神山町住民曾剧减到6000人,在此状况下,NPOグリーンバレー和地方住民以及行政机构紧密携手拼命发掘实施了各式各样的对策以图神山町的起死回生。随着这些活动的深入展开,利用神山町服务的公司以及移住者渐渐增加,终于在2011年取得了迁入住民数超出迁出住民数的实绩,被总务省列为通过活用ICT实现地域活性化的模范样板等等,听着这些精彩的解说,一边被德岛县人了不起的行为所感动,一边思量,空海是否也在暗中为神山町的起死回生加了一把劲呢?

之后,我们参观了从札幌迁入神山町的中山啓夫妇家。在那里,中山夫人拼命重建古民屋的英姿给我了极大的震撼。

中山夫人原为平面设计师,自从购入这已有180年历史的古民屋后,从设计到重建都是她自己日复一日亲手在进行。能说一口流利越南话的中山先生说重建古民屋已经是他夫人的兴趣也是她每日的生活。
我很好奇她如何有这般体力、耐力以及精神力,莫非…感动至极,如果不失礼的话,我很想称她为神山町的神姐。

接着我们还参观了一家名为“WEEK神山”的小巧玲珑的饭店。从外观看这个饭店并没什么特别之处,不过脚一踏入就不想出来了。里面装饰简单却极为优雅,好似艺术家的工作间,气氛也让人赏心悦目,心定神清,我不由问了好几次,这真是吃饭的地方啊?

出了店门,眼前便是旅舍,这个店和旅舍也是重建的古民屋,散发着木头的清香,感觉此处青山环抱,该是一个最适合修养身心的好地方。

话说祁答院社长也是从其他县迁入徳島市,作为NPO活动家兼企业家,身体力行于神山塾的运营以及各种事业的开拓、致力于NPO和实业的融合等等,在力图让神山町起死回生的实业中大显身手。

●迷你日中联欢会

却说7月12日傍晚时分,我们离开神山町。祁答院社长马不停蹄地开车返回德岛市,我和孙桑却不知不觉在座位上打起盹来。祁答院社长和我们约好,我们入住宾馆休息一下后他再来接我们。

我们入住宾馆一小时后,如约在前台大厅与祁答院社长会合,准备一起找家居酒屋吃点喝点也聊聊天。在途中祁答院社长说他有个朋友要来参加,这话说完不到一会儿,他朋友还带着另外两个朋友来了,如此发展成了中国人2名,日本人4名参加的迷你中日联欢会!

我们进入的第一家居酒屋满席了,于是出了店在周围另找其他店,最后进入了一家小巧玲珑看似不错的居酒屋。
我不太记得在那里吃了什么,只记得吃了不少美味佳肴。

然而比起美味佳肴,与刚刚认识的祁答院社长的3位朋友的对话却更为记忆深刻。

总结与他们这天和第二天的对话:

首先,曾为公认会计士的岡田育大様,从事于徳島老家的林业经营,从传统经营到环保型经营、从家族経営到地域活性化、转换経営理念以及方向、以東京和徳島为主要据点尝试开拓了各式各样的实业并付诸于实践,感觉是位存在感极大的实业家。

接着是曾为摄影家,现经营着株式会社丸菱的石井友規様,现致力于展示德岛魅力的4K映像制作。
现在能看4K节目的电视机已经面世,遗憾的是4K节目却极少,他的任务则是要力图改善这种状况。
另外,在东京奥运会举办之际,8K节目又将开始放送,那时4K节目恐怕要被淘汰了。
进而,他说人的眼睛也有限度,因此那之后即使再有8K以上的节目出现,估计代替8K不太可能,因此将来8K应该成为主流。
当今技术革新太快,虽感觉难以跟上,不过从这些新鲜话题学到了不少东西。
至少在8K时代到来前的短短的4K時代,是否有必要购买4K电视机呢,这些话题于我无疑是有用的判断材料。

第3位是旅人理事伊祁宏将様,在热心于德岛地域活性化活动中也正处当年。
伊祁様的父亲为一寺庙的住持,因此与他之间空海自然而然就又成了热门话题。
另外,听他说有个寺庙的住持离世后,没有继承人,最后由他的韓国人夫人继承其位。
头一次听说女性也可担任寺庙的住職,我大为惊讶,不过仔细想想就感悟到了,与寺庙的存续大事相比,继承寺庙住持一职是男还是女,只不过是个形式问题罢了。

日本,一边守护传统,一边接纳新事物,也许这种体质正是让许多传统得以传承百年甚至千年的要因之一吧。

2个小时左右的迷你日中联欢会,不仅享受了美味佳肴,还从与4位实业家愉快的对话中大大长了见识,可谓受益匪浅。


●惊艳醉人的阿波舞

在迷你日中交流会的第二天清晨,我们在下榻宾馆的宾馆用过清单可口的早餐,稍事休息后,乘坐前来迎接我们的祁答院社长的车,前往机场迎接安崎先生。
中午安崎先生、昨天出席迷你日中交流会全员,新加一位岡田先生的秘书,合计8人一起共进午餐。

在安崎先生的提一下,岡田先生的秘书开车送孙桑和我去了阿波舞蹈会馆。

毎年从7月到8月,五彩缤纷的盆舞大会在日本全国遍地开花,热闹非凡,堪称日本夏季的一大风物。
我曾在新宿站附近看过阿波舞,不过却是头一次在其起源地徳島县观看。
会馆虽小,但是阿波舞在眼前一开始,我就震撼于其魄力,眼睛和心灵都被其独特的美丽深深吸引了。
中国有个成语叫“朴实无华”,朴素而无浮华之意,因其强调朴素,通常说来似乎无缘于华丽,
然而阿波舞男舞者的朴素和女舞者的华美这两种元素却极为自然地结合在一起,演绎成无与伦比的艳丽。
于是看着阿波舞,“朴实无华”这个中国成语在我脑海里便自然而然地幻化成了“朴实惊艳”这四个字。
不知道最后一曲的曲名,在灯光演绎的飘雪、月光、桜花的颜色等景色快速变幻中的最后一曲阿波舞更是精彩纷呈,舞者们顷刻间便舞出了四季风光,人间仙境,来客们醉了双眼也醉了心灵。
另外,男舞者们一直低着身子舞蹈,把女舞者们的性感和优雅尤其衬托得淋漓尽致,看着有趣,更感于男舞者们甘当绿叶的绅士气度…

●出席安崎先生讲演会和联欢会

从阿波舞会馆出来后,我们直奔安崎先生的讲演会场。
到了会场,又被坐满300名以上来客的盛大会場震撼了。
我们人真倾听了16点左右开始的,安崎先生以「打造不战而胜经营体制」为主体的讲演,
之后在とくぎんサクセスクラブ会员联欢会上大块朵颐了一顿德岛的当地美味料理。

有关「打造不战而胜经营体制」讲演会以及联欢会的样子,可点击下面链接阅读相关报告▼
安崎会長、7月13日徳島銀行主催の講演会で講演レポート

2天之旅虽短,却看了在东京圈看不到的风景、体验了在东京圈体验不到的德岛独特的传统文化,得益匪浅。

●跨越时空活在当今的空海

最后,想回到标题所示四国遍路的话题。
这次虽说四国八十八个巡礼处一个也没能去,但是空海并非那种闭关冥想或者念经的修行僧,
他的足迹定是链接着八十八个巡礼处,遍及四国。
因此在我2天里踏过的路上,想来也有空海留下的足迹。

或者对于遣唐留学僧空海,我知道的不到一亿分之一,然而我知道他从大唐学来的并不仅仅是念经,还有钻井技术之类能造福于现世民众的东西。他致力于这些技术的普及,并身体力行地实施了香川县的堤防建设等等造福四国众生的土木事业。
空海给四国留下的是"DO”的DNA,是远比金钱庞大的财产,或者说是能让财产增值的丰富的文化资源。

安崎先生的「打造不战而胜经营体制」的主题演讲的意义并非在于纯理论性的泛泛阔论,更在于其中大部分"DO”的内容以及"DO”出来的实迹。
另外,神山町的山道,奋力重建古民屋的神姐,以及这2天里见到各位企业家们生机勃勃的身影里,
我想都潜伏着空海那超越时代的"DO”之DNA。

有关生死的认识,佛教与俗世本就有所不同,空海,确确实实超越了古来的冥想僧、念经僧,升华了大唐师傅所授,从而也超越時代与国境,活在当今。(End)

遣唐使留学僧弘法大師空海の足跡を辿る四国遍路文化ミニ体験(予定)

2015年6月15日


だいぶ昔成田空港で知り合った日本人夫婦の友人がいまして、今でも時々会って一緒に食事をしたりします。

「家に遊びに来てね」という日本人からのご挨拶を本当のお誘いだとして、何時どこに訪れればよいのかと次のお話を首長く1、2年間待ってても来なくて困惑する滞日中国人が少なくないというお話が良く出てきます。彼らは、いつもそのようながっかりした中国人をご自宅に誘い招待したりしました。このような話をすると、私は思わずに噴き出します。確かに私も昔来日して数年間ぐらい日本人に「家に遊びに来てね」と言われると、必ず嬉しく、はい何時か、お宅はどこなのかと確認したりしました...

ほとんどのことについてきちんと約束をし固く守ることで知られる日本人がなぜ「家に遊びに来てね」となると、ご挨拶ぐらいのものになるだろうかと今でも不思議ですが、もうだいぶ昔慣れました。

面白いことに、中国人は逆です。「家に遊びに来てね」というと80%以上本気だと思います。 これ以外の約束になると、本気度が下がってしまいます(笑)

余談はさておき、四国遍路文化という本題に入りましょう。
昨年6月中旬、日本のグローバル企業コマツ元CEO安崎暁先生の山形米沢の講演会に日中民間交流誌「和華」創刊者孫秀蓮さんと安崎先生の本の中国語翻訳に懸命に頑張っている私が招かれました。
その際、いつか私の故郷徳島に招待しようというお話があり、ありがとうございますとお礼を言いながら「家に遊びに来てね」というぐらいのご挨拶だと思って暫くしてからすっかり忘れてしまいました。
意外なことに、去年安崎先生のこのお話はご挨拶ではなく、本気でした。先月末、7月13日に徳島地方銀行主催の講演会があり、二人はご都合いかがでしょうか、観光のために先に行って一泊しても良いよ...とメールをいただきました。
私たちは、安崎先生のこの本気度100%のお誘いをお受けし、早めにネットで格安の早割チケットやホテルを探して予約しておきました。安崎先生にとって数千円~一万円ぐらいの経費削減があまり意味ないかもしれないが、私たちは感謝の気持ちを表すにはこれしかできませんでした。

徳島と言えば、四国の東部に位置し、さまざまな自然観光スポットや温泉に加え、特に四国八十八カ所巡りのうち、徳島には二十三所を占め、お遍路さん巡礼の旅は、徳島県第一番札所から始めます。

今回いただいたこの有難い機会を活かし、講演会で安崎先生によるハイブリッド経営の講演を聴講するだけではなくて、第16次遣唐使留学僧弘法大師空海の足跡を1億分のいくつか?辿り、1200年の歴史を有する独特の四国遍路文化を少しでも体験してみたいと思います。

-----------------

我有一对很久前在成田机场结识的日本夫妇朋友,至今有时还和他俩见面一起吃饭。 见面时我们经常会谈起有不少驻日的中国人往往把「到我家玩啊」这句日本人的寒喧话当成真的邀请,翘首盼望对方告知自己啥时去哪里,结果往往等个1、2年也没有下文因此觉得很纳闷。他俩遇上这种失望的中国人往往会将其邀请到自己家里招待一番,安慰安慰他们那受伤的小心灵。

每次这个话题一出我就会发笑,确实在我来日本后的头几年也是一听日本人说「到我家玩啊」就会很高兴地说:好,什么时候,您家在哪... 日本人因在多数事情上都惯于提前定约并坚守约定而闻名于世,然而为什么「到我家玩啊」这句话却成了个寒暄语呢?对这点我至今都觉得很不可思议,不过也早就见惯不惯了。

有意思的是中国人正好相反,中国人若说「到我家玩啊」那么其可信度可说是超过80%的。 而要换了其他约定,其可信度却会下降(笑)

闲话少提,言归正传,今天要说的是四国遍路文化体验之旅。
去年6月中旬,全球化企业小松的前任总裁安崎暁先生邀请日中民間交流杂志「和华」创刊者孙秀莲和正在拼命把安崎先生的书翻译成中文的我出席了他在山形米沢的讲演会。 那时安崎先生说啥时请你们去我的故乡德岛,我们一边道谢一边把这句话当成了「到我家玩啊」之类的寒暄语,不久就将之抛于脑后了。

出乎意料,去年安崎先生说的这句话并不是寒暄,而是当真的。上月末我们收到安崎先生邮件,说7月13日他有场由徳島地方銀行主办的讲演会,问我们二人是否方便去,并说我俩提前去观光住一晚也行。
我们欣然接受了安崎先生这个诚信度100%的邀请,立马上网搜索预约了打折机票和宾馆,替安崎先生节约了几千到一万日元的经费这对于安崎先生来说也许没有什么意义,不过对于我俩来说却是表达谢意的唯一方法了。

徳島位于四国东部,拥有丰富多彩的自然景观、温泉、特别是四国八十八所巡礼处,二十三处就在徳島,徳島県第一番札所即为巡礼之旅的起点。 获得这个难得机会的我俩,不仅将在讲演会上认真聆听安崎先生以混合型经营为主题的演讲,还希望去踏踏第16次遣唐使留学僧弘法大師空海留下的足迹之一亿分之几?、体验一下拥有1200年历史的独特的四国遍路文化。




来日友人を東京観光案内

2015年2月23日


昨日朝一羽田空港に行き、札幌旅行から東京観光に来る友達とお嬢さんを迎え、まず品川プリンスホテルに荷物を預けた。

それから浅草寺、渋谷、秋葉原、上野、銀座を案内しプリンスホテルに戻ってチェックインしたのは夜10時頃。疲れたが久しぶりの東京観光で楽しかった。

紅二代の安達さん(お父様が戦争前線で中国八路軍日籍軍医を務めた)が上野観光まで付き合って下さり、大変お世話になり、誠にありがとうございましたと。



2014年8月流水乱記~中国への旅

2014年9月2日


去る2014年8月15日に中国へ帰り、26日に日本に戻ってまいりました。12日間のことをすべて思い出せますが一つ一つ記録するのは大変なことなので、自分へポイントだけレポートします。めちゃくちゃでしょうから、「流水乱記」としましょう。(笑)

8月16日 コマツ元社長安崎暁先生新書発表会 at 上海書展に参加


企業家でもない私が参加することになった経緯はと言えば、今回発表された新書「聚变」は、安崎先生が友人との合著「日本型ハイブリッド経営」のアップグレード中国語版であり、私はこの本の中国語翻訳や安崎先生と上海側出版社間とのコミュニケーションの手伝いや日本側のブログサイト運営に携わってきました。この関係で新書発表会に誘われました。中国人ですが、実は上海書展へは初めてでして、書展での人の山人の海にびっくりしました。しかも入口の前で長蛇の列ができて、10元の入場券を15元で転売している“黄牛”の存在を知ってまたびっくりしました。ネットで偶に見る中国人が読書しないという書きこみとは何なんでしょう。一言で言えば、書展全体も安崎先生の新書発表会も大盛況でした。詳しくは下記写真及び“コマツ元社長安崎先生新書発表会 at 上海書展”をご覧ください。


8月17日 江西省景徳鎮へ


また中国人として恥ずかしいのですが、景徳鎮観光も初めてで大変勉強になり楽しい旅でした。観光が終わりホテルへ帰る途中か夜の食卓か忘れたが、なぜかまた三国志が話題になり、現地でお世話になっている運転手さんへ近くに三国遺跡ないかを聞くと、なんと車で2時間ぐらい先の九江に煙水亭という、周瑜の点将台があるそうです。12種もの三国志を読んだ三国スーパーファンの安崎先生はすぐに行こうとおっしゃってましたので、計画外ですが、翌日朝一九江へ行くことになりました。


8月18日 朝一九江へ、午後景徳鎮に戻り、夜上海へ戻る


朝一出発して運転手さんの言うとおり2時間ぐらいで九江に着きました。計画外のところで、計画外の人物~日中交流雑誌「和華」へ漢詩を2回寄稿して下さった晩影残風さんと集合し、煙水亭観光をご案内いただき、昼食をご馳走になり、お土産までたくさんいただきました。中国側ネットで3年ぐらい交流した方ですが、数十人のネット友と一緒に仲良く遊んできたので、今回は初対面でしたが、もう老朋友のような雰囲気です。彼の強みは風華雪月を詠う漢詩漢詞で、例えまともな散文や随筆を書いても締め括りはほとんど風華雪月の話しになってしまいます(笑)。彼の写真をオーペンするまでにほとんどのネット友に彼が女性だと思われていました。しかし風華雪月が強みだとはいえ、見た目は武将のような体格で実際にも友達の為に“两肋插刀”的な男性らしい性格です。そのためブログに3桁の女性ファンを持っています。三国が好きな安崎先生のお蔭で、大昔に遡り周瑜...のお蔭で晩影残風さんに会えて大変嬉しかったです。昼食後、また景徳鎮へ戻り、晩餐後上海へ戻った。


8月19日 大学クラスメートらとの食事会後、姪と紙芝居を楽しむ


午前上海側出版社と打合せして昼頃一緒に西安の羊肉泡膜を食べました。さすがに20年前に西安で食べた羊肉泡膜に比べられないが、そこそこ美味しかったです。 午後、安崎先生は小松中国投資公司へ。 私は東方航空勤務中や西南航空等上海駐在中の大学同級生6名との食事会に誘われました。中に20年以上も会っていない同級生がいたので感無量ですが、元気で若々しい皆の顔を見て大変嬉しかったです。 その後、弟の家へ、5歳の姪と紙芝居を楽しんだ。最初はあまり相手にしてくれなかったが、童心社から購入した舞台を使って「大きく大きく大きくなれ」をやり始めると、だんだん楽しくなってくれて声を出したり、写真を撮ったり、最後に自分が舞台を使って紙芝居をめぐったりしました。5歳の子供は紙芝居を楽しめる年だと思いますが、もしかしてもう少し小さい子だったら、もっと楽しんでくれるか、3歳頃が一番良いじゃないかと思いました。子供がお爺ちゃんお婆ちゃんそして両親や親戚にとっても可愛がられる中国で、心身の成長に良い紙芝居は大いに宣伝したら一気に普及するじゃないかと思います。

8月20日 “動車”で実家帰省


朝一上海発の“動車”に乗って実家へ。“動車”というのは、日本の新幹線に似っているものですが、飛行機のスチュワーデスと変らないほど若い美人の乗務員らが元気に働いています。近年実家近くに駅ができたので、飛行機より若干高いが是非乗ってみたいと思い、初めて乗りました。途中で三国時代蜀呉が争った”荊州”駅もありました。寝台車チケットを買ったので、ベッドに横になって映画を見たり食べ飲んだり寝たりして時間が早く経って、夕方頃実家に着きました。
 

8月21日~22日 実家の親友達と会ったり食べたり散歩したりしました。


下左側の写真は母親が毎日午後通っている麻雀屋です。故郷を長年離れた私は姉と一緒に、母親を迎いに行く際、この麻雀大軍陣営を見てまたびっくり仰天しました(笑)。真中のは麻雀屋近くの喫茶店です。右側は幼馴染達です。

山に登るには体力だけでできたのですが、狭い岩道を下るには体力だけではとっても無理で勇気やそこそこ強い心臓が必要です。大卒旅行で怖いものなしで華山各峰に登ったのはもう嘘のようです。右下の絶壁を見るとぞっとします。両足を震えながら、恥ずかしながら今微信上で“宝玉”と”蓝流”を名乗る男性幼馴染から手を杖として貸してもらいました。翌日から3日間ぐらい両足の筋肉が耐えきれないほど痛かった。もう二度と行かないと思ったが、皆が微信で写真をシェアすると、行けなかった友人から羨ましい、悔しいという声があがってまた来年一緒に行こうという羽目に(笑)。
ちなみに、石に刻まれた赤い字及び下の石に刻まれた白い説明文は、下にある上段右写真の中、傘をさしている“沛东”の書法です。彼も私の幼馴染の一人で、銀行員だけど余暇としてプロレベルの画家、書法家、詩人として蜀の民間一大秀才です。彼が”文弱書生”だとずっと思って来たのですが、今回彼が平気で山登りや絶壁の道を下りながら風景や撮影を楽しみ岩に刻まれた古詩を詳しく鑑賞しながら解説してくれる勇姿を見て、”文弱”と”書生”を勝手にくっつく私は強い反省をしました。

8月26日 浦東航空へ行く前に、二人の友人に会い、大変綺麗で美味しいアイスクリームをご馳走になりました。


この二人も数年前ネットで知り合ったのです。時間があまりないのでゆっくり味わうことができず食べるのを急いでました。今日会社でこの写真を出して隣席の同僚に見せたりして自慢しました。 


12日間に、書展参加、景徳鎮観光、煙水亭周瑜の点将台観光、大学同級生との食事会、姪との紙芝居遊び、“動車”で帰省、“初めてというキーワードの出番が多かった。これらの“初めて”に加え、“旧地重遊”により幼馴染達と友情を温め、美食を食べまくり... 縁と言うのは大変素晴らしいもので、どんなに遠く離れても友達を繋げてくれる。そして大きくばらばらに思われる世界を一つにしてくれる。

8月16日より上海書展参加兼実家帰省

2014年8月10日


今月初旬、元コマツ代表取締役社長・CEO安崎暁先生が友人との共著「日本型ハイブリッド経営」の中国語アップグレード版「聚变」が上海で出版されました。本書の編訳業務に携わる一員として、一言で言えば嬉しい限りです。

世界500強グローバル企業の元CEOの本の出版業務に携わるチャンスに巡り合う方々は、どのぐらいいるのでしょう?そう考えれば、大変光栄です。

1992年仕事関係で来日して以来、前職辞職、日本の大学院にて経済・経営学をやり直し、また就職や転職したりして様々な業務を経験したのですが、この仕事も大変刺激的でした。たくさん勉強になり貴重な経験をさせていただきました。

来たる8月15日に上海へ旅立ちます。
8月16日10:30~上海展覧中心2号活動区で新書「聚变」発表会に出席させていただきます。
元コマツ社長安崎暁先生、コマツ中国王子光社長、アメリカハーレーダビッドソン中国総裁高瑾馨女史、上海交通大学金融系費一文教授等のゲストもご来場されます。

書展後、久しぶりに実家へ。
母親を含む親友の顔を見て故郷の空気を吸って、電気が切れそうな体に充電してまいります。

安崎暁グローバル企業発展研究会のブログの新URL

2023年2月11日 先日のミニ三国雑談交流会がきっかけで、以前携わった 安崎暁グローバル企業発展研究会のブログ が消えた事に気付きました。 実を言うと、安崎先生は当時、終活として1冊の本(結局2冊)を出したがっただけでした。なので、中国側出版社からいくつかの大袈裟な販促や講演...