避暑地である中国国家森林公園「黄水」観光

8月初旬に帰省し、10日に重慶空港でFBや日中交流の場で交流を深めてきた童心社田中社長ご夫婦を迎え、私の生まれ育った石柱県に近い避暑地である中国国家森林公園「黄水」や周辺観光地をご案内いたしました。
「ご案内」と言っても、実は私の出身地は変化が大変大きく少数民族土家族とされたのも、私が大学に入ってからのことだった為、私も今回はほとんど初めて行ったり見たりしました。一緒に旅を楽しんだと言えます。

1日目は、両親が文革中に下放されて私が誕生から中学校までにいた橋頭(ダム作りのため水没された)へ、山や水に囲まれる農家楽「楠渓逸園」にて、鳥や虫で奏でているハーモニーの中で美味しい農家料理をいただきました。
14日までに、10数名の親友と旧交を温めました。プロレベルの詩人兼画家兼書法家の鄧さんから田中社長へ書法を贈られるとともに、私にも一枚くれました。普通はくれないが田中社長のお陰です。

14日までの5日間に、アマチュアガイドの私は親友達に大変お世話になりました。

8月10日 石柱 – 重庆 – 石柱 車で出迎える陳さん(週末夕方の動車チケットが取れなかった為)
8月11日 黄水周辺未公開3カ所をわざわざ開放するように調整手配した郭さん
8月11日 唐時代に遡れる皇家寺银杏堂のストーリーを大変詳しくご説明くださった银杏堂歴史研究家の杨居士
8月10-13日 石柱 – 黄水及び周辺観光点間の移動運転手兼案内
8月11-12日 黄水 – 石柱及び周辺観光点をほぼ24時間アテンドしてくれた高校の友人
8月13日 体調不良で宴会に来れなかったが、田中社長ご夫婦の為にとっても上品で地方特色ある小鳥清河客栈を予約した譚さん
8月13日 私が企画し皆を誘った黄焖鸡宴会で、最初から最後まで手足を広げ無理やりに私をレジへの道を塞いた数人の男性友人
8月13日 宴会の後、田中社长へ体験マッサージサービスを20分钟提供した鄧師父
8月14日 火鍋昼食会で再会した劉先生ご夫婦
8月14日 火鍋昼食をご馳走なおさら田中社長へ書法を贈ったプロ並みの詩人兼画家兼書法家の鄧さん

等など。書ききれず言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。

ただ、残念なことも一つありました。
中国の油っぽい美食を食べ過ぎて13日午後からお腹を壊してしまい、13日夜の宴会と14日昼の火鍋食事会では見るだけでして、現在も体調を整えるように食事はお粥や面食等にしています。(笑)

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安崎先生のご冥福を心よりお祈りいたします

昨日、日中交流雑誌「和華」編集長の孫さんが主催した安崎暁先生を偲ぶ会に出席いたしました。
小規模の会でしたが、参加者達と一緒に、日中国交回復前から50年に渡って日中経済文化交流に大変尽力した方、経済や社会への卓越な貢献で国から藍綬褒章と旭日重光章を授与された人物、12種類もの三国志を読んだ三国スーパーファン、去年去年10月に晩期ガンが見つかり12月に自ら企画開催した生前葬に当たる「感謝の会」で、お故郷の美しく素晴らしい阿波踊りの中で、千人近くの来場者とお別れの握手をしたりお礼を言ったりし、世界中の人々が心を打たれた非凡な方を偲びました。

この数年間、安崎先生の余生三等分主義(1.世のため人のため 2.家族や友人のため 3.自分のため)の中の①を手伝わせていただきました。2冊の本を中国語に翻訳していながら、乱世に生まれた安崎先生の人生がまさに孟子のお言葉の通りだと思っていました。「天将降大任于斯人也,必先苦其心志,劳其筋骨,饿其体肤。- 天の将に大任を斯の人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ」。また、常に著者としての安崎先生が和魂漢才か、漢魂和才なのかを考え、グローバル的に活躍されたし英語もペラペラだから、洋和漢魂才だと言うのが相応しいかもしれないと思ったりしました。

安崎先生の余生三等分主義の1.を手伝うことを通じて、私も世のため人のために微力を捧げたと思います。なお、私自身にとって翻訳スキルアップやキャリアアップだけでなく、「終活」という二文字や健康寿命を含み人生についての考えや理解も一段アップできました。これは、在日20数年にかかわったことの中で一番実りある光栄な仕事です。

安崎先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

友達から干し餅状の超硬いプーアル茶をいただきました

先月末来日観光のカナダに移住した友人夫婦に会って成田駅近くの店へ夜ご飯を誘いました。せっかく日本に来ているからもちろん和食じゃなきゃと思い、寿司も注文したがなかなか食べてくれない。食べて見てねを連発すると電子レンジで1、2分位チンしてもらえるかと言われました。それを恐れ恐れ店員にお願いしたら、イメージしてた大笑いもなく微笑みながら優しく対応してくれました。まさに国際化のおかげだと思いました(笑)
それから困っている事が一つあります。友達からもらった干し餅状のプーアル茶が、余りにも固くて飲みたくても飲めない。ハサミでもナイフでも切れないほどの硬さです。ハンマーを使おうと思いますが、近隣からクレームが来るかな(笑)また、お茶はなぜこんなに硬く作られなきゃならないでしょう、不思議です。これをFBに投稿したら、下記の通り、ありがたく良いアドバイスをいただきました。「日本は湿気が多いので、空気中にそのまましばらく置いてから、ハンマーやパワーペンチなどで大分容易に砕けられます。その後は容器に入れて空気を遮断するほうがよいかと思います。」



亡き母を偲ぶ日々

母親が他界してそろそろ1ヶ月立ちますが気分は沈んだままなかなか上がってきません。昔の写真をよく見たりしていながら、母親がまだ20数年に渡り恒例となった夏休みに実家戻りの私を待っているような気がします。母親と別れの予感が全くない訳じゃないが、去年夏休みに実家帰リ母親と2週間居ましたが、行動不便以外、飲食や会話は異常なかった為、少なくともまた5、6年位生きられるかと思いました。余りにも突然過ぎたのです。

母親の人生は平凡であり非凡でもありました。多数のキャリアウーマンと同じ普通に仕事をしながら結婚し子供を育てる人生でした。非凡と言えば、彼女は文弱に見える女の身で、苦難を強いられた人生の道を乗り越えた。武昌に生まれ、戦乱時祖母の世話で当時比較的安全と思われる重慶の学校に入学した母親は、当時友達以上恋人未満の男性クラスメートの助けによって妻いるしつこい国民党軍官から逃れたこと、祖母との連絡を失うこと(祖母が全国で探して再会できたのが1960年頃)、その恋人未満の方との連絡を失うこと(彼があちこち探し再会したのは1970年少し前)、その後仕事でかかわる妻いる県長からのご「好意」を断りなど、いろいろとありました。さらに1957年から父親とともに「右派」とされて「文革」が終わるまで、20年近くにわたって批判されたり農村へ下放された。不幸の連続の人生でしたが、母親は負けず倒れず、一生懸命仕事を続け、父親と支え合いながら子ども達を育ちました。また、自分の3人子供のほかに私の(父方)の3人の従兄弟を家に受け入れて生活や学業をサポートしてあげました。偉大な母親に、私は足元にも及ばないです。

母親についてはいくつか不思議な伝説があります。両手で同時に銃を撃てるとか、本当かと確かめると従軍したことさえないからできる訳ないじゃんと言われた。また、両手で同時に算盤を弾けるとか、これも確かめるとそんなことできると良いねと大笑ってました。結局ただの伝説ですが、善意的だと思います。若い時の母親がきっときれいだけじゃなくて、もしかして少し女傑だと思われる気質もあり、人々の伝説創作へのインスピレーションをかき立てたかもしれません。母親の字は筆勢がたくましく、龍が踊りあがり鳳が舞い上がるようで流れる雲や水のように、全く文弱な女性の字だと思われず、女傑だと思われたのは彼女が書いた字だったかもしれません。

明るく、どんな悪運に翻弄されても倒れず、良妻賢母、俯仰天地に愧じず..母親に関する思い出は山ほどあります。特に忘れられないのは、私の子供時代、両親共に悪運のど真ん中の時期でも母親の近隣との陽気な話し声や笑い声、今でも響いているようです。今いるあの世には、争いも苦難もないでしょう。鳥がさえずり花が咲く高山流水の中で父親と再会し手を繋いで天国に昇ることをお祈りします。

童心社見学記

昨日、中国故郷の友人夫婦と留学中の息子さんを連れて童心社を見学致しました。

この友人劉さんとは、同じ故郷だったが、私よりいくつか年下だから、今までどんな仕事をされているのか余り関心なかった。
先月、日本観光に行くよと、彼から中国のSNS Wechatで声を掛けられてから交流が増えてきて、多数の子会社持ちの巨大中国出版グループのシニア編集主幹(大学にたとえるなら、教授位)だと分かり、観光や買物ばかりじゃなくて日本の出版社見学を提案しました。そして、Facebookや交流会で交流を保っている童心社の田中社長にご相談し、童心社の見学を決めました。

やはり、劉さんは童心社の少数精鋭な陣営や作品の精緻さに大変感心しました。紙芝居以外の児童作品に興味を示したが版権がすでに完売されたと聞いて残念がってました。

夕方、田中社長の行きつけの蕎麦屋さんで、様々な美味しい日本酒や日本料理を頂きながら、楽しい会話を続けました。
真夏に私の故郷から車で1時間弱離れ、真夏でも10度前後の国家森林公園(黄水)へ行こうという話になりました。黄水は、まだ自然そのものですので、私を含め、ほとんどの人は一度行ってみたら、癖になって、夏になるとまた行きたくなるところです。5月に入って早々企画したいと思います!Meeting

また、面白いことに、今日私は劉さんの出版社と童心社の売上と社員数で、人当たりの売上を計算してみたら、びっくりする結果が出ました。
劉さんのグループ会社年間売上20億元(約334億円)で社員数1300以上 VS 童心社は年間売上14.25億円で社員数26人
劉さんのグループ会社 約25,700,000円/人 VS 童心社 約54,800,000円/人

童心社の人当たりの売上は、劉さんのグループ会社の人当たり売上の2.1倍強です!

これをWechatで投稿したら、規模を追求する中国企業、精緻さと効率を極める日本企業、日本企業の強いところを認めるべき等など、様々なコメントが入ってきました。
中に、独特なコメントもありました。中国の出版社は1300名か1300家庭をを養っているが、童心社は26名だけ養っているから、中国が勝つと。このコメントは真剣か冗談かは別にして、私は笑ってました。確かに経営的な立場で言うと童心社が勝つが、民生的に言えば劉さんグループですね。立場を変えて物事をみれば、敗者が勝者にもなる。大変お面白いです。

ちなみに、劉さんと童心社の田中社長は、お互いの強いところを認め合い、和気あいあいでした。平和で良いですね!

成都からの幼馴染と数年ぶりに会いました

今日は、中国の成都から日本観光にやってきた幼馴染と数年ぶりに会って、明治神宮、新宿、銀座等をご案内しました。

私の若い時の浴衣を持参し、着付けてあげました。綺麗な彼女にピッタリでした。casual and cotton kimono

私よりただ1カッ月年下の彼女ですが、綺麗を保っているというよりも、年とともに綺麗さが増してきているようで、びっくりしました。

逆生長の彼女と順成長の私と並んで立つと、娘と母のように見えているじゃないかと、今日一日、私のセリフでした(笑)

午前10時に明治神宮で集合し、観光や食事や買物などを案内したり喋ったりしてあっという間に夕方が迫ってきました。at Meiji jingu
18時発の成田空港近くのホテル行のバスに乗ることになっているので、5時過ぎた頃、銀座から明治神宮迄見送りしてあげました。大変楽しかったです!
近年、来日観光の友人が増えてきています。
明日も、来日観光中の友人夫婦をご案内致します。

健康が宝です

中国のSNS微信(Wechat)で、毎日自分の美しい写真やお孫さんの写真や美食などをアップしている友達の投稿を見て羨ましくてしょうがない。

そして、自分の誇りに思うものがないかを探しまくったら、健康診断の結果しかなかった(笑)Health checkup

去年と今年、連続2回、数値が全て正常範囲内だったため、各項目の結果ともAでした。
昨日これをWechatにアップして彼らに対抗してみたら、評判がかなり良かったので自信回復(笑)

この歳になると、健康が宝ですね。

これからも、持続可能な健康維持に頑張って行こうと思います。



やっと、大きな山を超えた

先月、ある交流会で出会った方に、ある本の翻訳をやってくれないかと言われました。

今までは、日本語から中国語への翻訳がメインで、中国語から日本語への翻訳も承ってきたが、大体短いものでした。
が、今回は本ですし、内容が美学関係のため、かなりハードな仕事になるでしょうから、一瞬迷っていたのですが、難しいからこそ、やり甲斐ある仕事じゃないかと、一緒にいる友人に一緒にやろうと声をかけて受けてしまいました。

実際に作業を始めると、想像以上に大変でした。
本ですから、たとえ中国語を日本語にできたとしても、正しい日本語になっているのかを常に疑ってしまいます。
そして、何回も読んだり何回も調べたりします。
また、聞いたこともない花や木や動物などの名称を調べてもぴったりの日本語がなくて、英語を調べてから日本語を調べるという流れになります…一ヶ月の間、夢の中でも自分が訳したものをチェックしています・・・

今日、やっと完了し、一通り自己校正も実施し入稿しました。
大きな山を超えてほっとしている気分です。

コマツ元社長安崎暁先生 末期癌から奇跡の回復

    去年12月11日に、末期肺癌、肝癌、胆囊癌にかかったコマツ元社長安崎暁先生が参加者千人位規模の感謝の会を行ってから1ヶ月以上立ちました。

    1ヶ月余にわたり数多い媒体やテレビ局からのインタビューや出演依頼を断ってきた安崎先生は、ようやくご支援の日中交流雑誌創刊者の孫秀蓮さんからのインタビュー依頼に応じるようになり、私も幸いに同席することになりました。

    今日午後、先生がご自宅ビルの違う階にある一室で2時間ぐらい孫さんからのインタビューを受けました。

    その前には待ち合わせるところで、ただ2ヶ月未満で車椅子なしで立てるようになったのだけじゃなく、歩いている先生の姿を見てほっとする前にびっくりしました。放射線治療を拒否したのがなんて勇敢かつ英明なご決断でしょう!

    末期がん患者の復活の証人として、偉い精神力の証人として、彼を支える奥様の愛の証人として、20世紀日本の経済発展に大きく貢献された功人が引退後、閻魔と戦いながら伝説な人物への過程の1レポーターとして同席いたしました。

    頂いた大きな力をシェアさせて頂きます。

境由心生か

昨日午後何時からだったかな、大雪が降リ出した。退社後電車が遅れたが動いてよかった。ようやく最寄駅に到着してバスに乗って帰宅しようとしたが、バス停の前には長蛇の列!何時になったら乗れるのかは分からないから歩くことを決めました。

途中で大雪が傘に落ちて積もって傘がだんだん重くなって来た。何回も傘を振って雪を振るい落として家へ進んだ。大雪、ちくしょうと心の中で罵りながら20分後やっと家に辿り着いた。

そして簡単な晩ご飯と温かいスープを食べてお風呂に1時間体を温め、一晩ゆっくり休みました。今朝家を出ると、なんと日差しが暖かく、雪景色も美しく清々しいものだ!昨日の大雪のお陰じゃないか。
一つの中国語が浮かんで来た、「境由心生」だ!昨日の大雪も美しいはずだけど、憎んだ。雪景色がどのように見えるのか、人のその時の心次第ですね!